酋長「Piwamnan」 THE STORY OF PIWAMWAN OF SOUK
彼らのアウトリガーは海面をすべりぬけて、もうすぐサイパンの浜辺へ到着する所でした。 到着後、男達はカヌーをパンの実とタロイモで一杯にしました。それから、1時間ぐらい、高い椰子の木に登って100個以上の「椰子の実」を集めました。それは命をつなぐ食物であり飲み物です。
酋長【Piwamnan】と彼の航海士達は、木の外皮をロープの代りに使い、膨大な数の椰子の実をいくつかの束にまとめました。
航海士達は各自いくつかの椰子の実の束を取ると、早速カヌーに固定しました。そして彼らの故郷のある南へ向かって、困難な船出に旅立ちました。“Faillelon”
や“深海の岩”というニックネームを持っている酋長【Piwamnan】は、この航海から戻った後に更に彼の偉大さと長きにわたる名声を得る事になります。
彼は故郷の島に向けて一直線に進む事はしませんでした。代わりに、彼の航海士達を小艦隊にわけ、サイパンで積み込んだ椰子の実を、台風で被害を受けた途中にある小さな環礁の島々に回り道をして分け与えたのです。
全ての環礁の島々を訪問し終えてから、彼はようやく自分の島へ戻ってきました。
酋長【Piwamnan】が航海した航路はmetawal woolの航路と呼ばれています。
彼のリーダーとしての資質は、今でも多くの子孫たちに語り継がれて止みません。
それから10年後の1815年、酋長Aghurubwがグアム島にあるスペインの総督府へ向かいました。彼はカロリン諸島西、サイパンからは南へ500マイルの所にあるサトゥワル島から長い航海をしてグアムに来ました。
この時、酋長【Aghurubw】も酋長【Piwamnan】が航海したmetawal woolの航路を利用しています。