グアム・サイパン太平洋の伝説


スペインの統治

スペインの統治 マゼランの航海

 1800年以降のチャモロ文化は、ヨーロッパ人達の「発見」の時代より以前のチャモロ文化と、大きく異なります。

 スペイン政府、そしてカソリック教会が1600年代に建立後、チャモロ民族の文化は一変しました。
当時のチャモロ人について、スペイン人の探検家が残した記述の最初の部分は大変興味深いものがあります。



 これらの記述はマゼランと共に旅をしたイタリア人の学者のアントニオ ピガフェッタの日記の記述です。

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5月6日 1521年

 マゼラン提督はこの3島の中で一番大きな島に、喉の渇きをいやすものを探し求めて、辿り着こうとしていた。しかし、それはに沢山の問題があった。
 その島の人間達は、我々が近付くと船に乗り込み、次々と強奪をする。そんな彼らから船を守る事は不可能であった。
 我々が岸へ近付く為に帆を降ろし待機している間にも、スキフと呼ばれる小型ボートを使い、あらゆる方法を駆使してそっと盗んで行った。
 キャプテンの船の船尾楼に繋がれていたボートが奪われたとき、キャプテンの怒りは爆発した。すぐに40人の武装勢力を引き連れて岸へ上陸し、40から50棟の家屋および小さなカヌーを焼き尽くし、7人の島の男を殺したのであった。そうやって 彼らは、小型ボートを奪還したのだ。
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 この様な危険な誤解がスペイン人達とチャモロ人の間に常に隣り合わせていた。
 彼ら島の人間達は、スペイン人の為に水や食料を調達する為に、それは必死で働いた。彼らの習慣で、何かをしたらそのお返しに贈り物をもらうのが風習であるが為に、無論何かの見返りを期待してきていたのである。それが彼らの家を焼かれる事、人々を殺させる事でない事は確かである。


ピガフェッタは続けます。
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 「我々が彼らに対して矢を放ち、実際にそれが体に命中して刺さった時に、彼らは最初に矢を見て、そしてそれを力いっぱいに前へ引っ張り引きぬこうと暴れ、大抵その直後に即死した。」
 彼らは我々が近づくのを見ると、100隻であろうか、いやもっと多くの小さなボートで集結し、我々の船にアプローチをする為に付いてくるのであった、彼らは魚を見せてはそれらを我々に渡すようなふりをしている。そうかと思えば彼らは石を投げつけて逃げだすのである。そしてその逃走途中に彼らは我々の船を小さなボートで次々に追い抜いてゆくという芸当を、海の上で帆をいっぱいに張ったボートでやってのけるのであった。
 それと、我々が見たのは数名の女達が泣きながら髪の毛をかきむしっている光景であった。
 それは間違いなく我々に愛する者を殺された事によるものであった。彼らは自由な意志の元に暮らしている。
 ある者達は立派なひげを蓄え腰まで届く長さの髪を垂らしていた。彼らはアルバニア人のような小さな帽子を被っていた;その帽子は椰子の葉で編まれていた。彼らは我々と同じように背が高く、立派な体格をしていた。彼らは何も崇拝しておらず、生まれた時は色白である。後に肌の色は茶褐色に、彼らの歯は黒と赤にと変化していく。女達は上半身裸で、腰から下には薄い木の皮を下げていた・・・彼女達は美しくデリケートで、男達よりも色が白く、地面に届く漆黒の長い髪をゆったりとなびかせている。
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 スペイン人によって島々が最初に発見された事は、チャモロ人にとっては嵐に見舞われた様な事でしょう。それ以降の度重なるスペインの訪問は、最終的にスペイン政府に島の所有権を返還させるまで相当辛く、苦しんだ時期でありました。
 スペイン人宣教師は、島の人間の魂を救済する為にやってきたと言いますが、彼らは同時に疫病やライフスタイルの激変をもたらしました。島の人口は、ピーク時の4万人から激減し、1700年には1500人弱になっていました。
1 700年代の間、マリアナ諸島は東と西の交差点として、航海途中の休息と補給の場として重要な場所になっていました。
 新世界とヨーロッパから金塊とスパイス類を運んでくる船達は、マリアナ諸島を食料補給の場にしていました。
 多くの船、例えば『Nuestra Senora de la Conception』は台風の影響で沈没しています。
 1638年に『Nuestra Senora de la Conceptio』nが沈没後、250年経った後に引き上げられた際、金塊及び復刻された出土品の数々は、値が付けられない価値があるとして世界中の人々の関心を集めました。

 先住民の現地語の伝統も、スペイン語によって形質転換をされていったのでした。神話や伝説もカソリックの価値観、モラルに影響を受けて、聖書に沿ったストーリー展開に変えられました。これらのストーリーはそれぞれ違った尺度で読まれていました。時には文面上は神話でも、その下には政治的意味が隠されているものもありました。

 伝説の中で、特に人々に愛されてきた一つがシレナの伝説です。美しい若い娘が人間でいる事をやめ、太平洋で最初の人魚になった話です。
 彼女は心に抱いた情熱-海を愛する気持ちに従い、人間としての身体を失う事をも厭いませんでした。この新しいスタイルの伝説はチャモロ民族が彼らの人生を比喩して要訳された内容になっていて、スペイン人の支配に屈する位なら、自分達の心に従い好きなように生きたい、との願いが込められているのです。

 グアムの沿岸にある美しい人魚シレナの銅像は、子供達にいつも彼女の思い切った行動と勇気を思い出させます。