グアム・サイパン太平洋の伝説


スーサイドクリフ「Suicide Cliff」

 スーサイドクリフ Suicide Cliff

 スーサイドクリフ

半世紀前、日本の非戦闘員のほとんどがこの絶壁に並んでいました。
静かに、そして整然と列をなし、一番小さな子供が次に上の年の兄弟に背中を押され又その次…と、それは順番に続き、最後に父親だけが残りました。彼は最後になると、突然向きを変えて死に背中を向けて走り出すのでした。

頭上では、ヘリコプターからアメリカ軍の兵士達が、自分達の命を無駄にしない様に繰り返し呼びかけていました。思いとどまる様に書かれた内容のリーフレットもばら撒かれました。しかし、当時のほとんどの日本国民達は、アメリカ軍の捕虜になる事は辱めを受けて、拷問され、そして殺されると信じていたのです。

アメリカにとって太平洋上のサイパンとテニアンを攻略する事は、戦略上の最重要事項でした。サイパンとテニアンの島々は、アメリカ空軍にとって太平洋戦争を記録した重要な場所となりました。


1944年、1945年はこの戦争の最後の2年間、テニアンのノースフィールド飛行場は、世界で最も忙しい滑走路となります。
 この島の狭く平坦な滑走路が、やがては世界の歴史を塗り替える一大イベントを起こしたのです。

1945年8月6日、爆撃機エノラゲイは、飛び立つ直前に「リトルボーイ」と呼ばれる9,000パウンドの荷を積みこみ、爆撃機は日本の広島に向かって飛び立って行きました。これが世界で最初の原子爆弾投下になったのです。日本では15万人以上の市民が、この爆弾投下によって負傷または命を落としました。
3日後の8月9日、次に「ファットマン」と呼ばれる原子爆弾が、長崎に投下されたのです。世界の原子爆弾の歴史はテニアン島から始まったのでした。


何故アメリカそして日本という2大国が太平洋の西に位置する、このたった14の小さな島から成り立つ北マリアナ諸島を占領する為に、60,000人を越える軍勢を率いて戦いを繰り広げたのでしょう。
どうして多くのアメリカ人兵士達は、自分達の故郷より何千マイルも離れたこの地で戦い、そして散っていったのでしょうか?

マゼランが最初にミクロネシアに航海に訪れた時から、この島々は各世紀において巨大な権力争いの為に翻弄され続けています。
当初の航海士達は、マリアナ諸島を彼らの航海に必要な物資供給の場所として利用していました。太平洋戦争に入ると、アメリカが日本に近いという利便性を重視して、目一杯に爆弾を搭載した爆撃機をテニアンの飛行場に駐留させました。

マリアナ諸島はこの様に、各世紀、世界でも極めて重要な位置付けの元に置かれてきたのでした。それは今日も一緒です。現在、マリアナ諸島は太平洋の西にあるアメリカの領地です。ここは、アジアの本土と呼ばれる中国、ロシアそして韓国の国々に一番近い領地なのです。
太平洋戦争後、新たに形成された国際連合の組織は、アメリカ合衆国に太平洋の多くの島々の行政責任を与えました。

この安全保護はTTPI(Trust territory of the pacific islands)と呼ばれ、マーシャル諸島、チュック島、ヤップ島、パラオ島、ポナペ島、そしてマリアナ諸島で構成されます。
グアム島(TTPIには含まれない)は選挙の結果、アメリカ合衆国の領土となり他の島のグループから離され、北マリアナ諸島は投票の結果アメリカ連邦になり、他の島々は保護領となりました。北マリアナ諸島は国防上の理由などから、この統治形態は2009年11月に終わりを迎え、現在はアメリカ領土となっています。

いくつかの島々はFSM(ミクロネシア連邦)とされ、チューク、ポナペ、コスラエ、マーシャル諸島共和国、パラオが属し、保護領にもなりましたが、他の島々とは分けられました。

北マリアナ諸島での太平洋戦争時から見れば平和が戻りましたが、経済的復興は難しいものでした。
テニアン島は今ではすっかり寂れて、静かな佇まいのノースフィールドの裏側の角地は、かつては世界で最初の戦いの為の原子爆弾が保管された場所でした。
 日本やアメリカからの観光客の人々が、日光浴を楽しみ、泳ぎに興じるその海は、かつてアジアとアメリカの多くの兵士達の血で染まった場所なのです。


ジェット機は北マリアナとアジア、オーストラリア、フィリピン、ハワイそしてアメリカの間を飛び回り、人や物資を運んでいます。

世界中の観光客達は、暖かい太陽の下でくつろぎ、エメラルドグリーンの海で遊ぶのです。北マリアナ諸島はまた、通年を通して平均気温が華氏84度(摂氏27度)を保っている常夏として、ギネスブックに申請され、世界一の常夏の島として認定されています。


何世紀にも及んだ支配と抑圧を経て、北マリアナ諸島の人々は今、新たな世紀に入りました。今後の挑戦と目標に、彼らが自分達は誰なのかと言う問いに戸惑う時があります。
自分たちはアメリカの市民であるのか、太平洋のミクロネシア人であるのか、または世界を一つとみているのか。
彼らの立ち位置は、これまでの歴史背景を元に、アジアと西洋を結び付ける為に極めて重要でユニークなものなのです。

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毎日、ス―サイドクリフは静かにそびえ立っています。平和の鎮魂碑は3ヶ国語(チャモロ語、英語、そして日本語)で
「全人類が永遠に平和と友情を分かち合えます様に」と書かれています。

マリアナ諸島は今でも静かで美しい白い砂浜のビーチ、黒々とした溶岩の崖、青く美しい海を維持しています。人々はこれまでの苦労の連続の中から、太平洋の歴史を交差させながら、ユニークな伝統文化を維持し育み続けてきたのです。